ものの弾みと申しますか、遥かな年月を超えスーパーファミコンを入手したので(三代目になりますか…)RGBケーブルを自作することにしました。
スーパーファミコンのAVマルチ端子はカードエッジコネクタなのですが、普通のカードエッジコネクタと比べてハウジングが多少薄いのです。
若かりし頃は電子工作の知識もなく、そのような者がピンアサインを知るにも「バックアップ活用テクニック」みたいな濃ゆい本のバックナンバーを漁るほかありませんでした。今はぐぐれば一発、いい時代になりました。
そんなわけでピンアサインは分かったのですが、突っ込むRGBケーブルがない。
ebayなどではSFC向けSCARTケーブルなどが悪魔のような値段で取引されています。駿河屋は良心的やで〜
でも今更21ピンケーブルに4000円近く使うのも芸がない…
それで現代の技術を、当時から温めていたアイデアに活かすことにしてみました。
それは「カードエッジコネクタを加工してAVマルチに突っ込む」。
よく見るとカードエッジコネクタのハウジングの外周部分は、実はあまり構造的に意味が無いのですね。
中央のフレームにバネというか端子というか、それがくっついていればいい。
そんなわけで切り刻んでみました。素材は、昔のDOS/V機のフロッピーディスクケーブルです。
最近のAT互換機(って、もうATでもなんでもないか…w) にはフロッピーコネクタすら存在しませんし、末期のフロッピーケーブルはカードエッジコネクタが省略されていました。大昔のフロッピーディスク用ですね。ハードオフなら転がってるかもです。
そしてテスト用のケーブルをでっち上げました。
これ全部フロッピーディスクケーブルで出来てるんだぜ…
しかし、スーパーファミコン RGBケーブル 自作(英語だとSNES RGB cable DIYとかでしょうか)でググっても中々ヒットしない…特にこの削り出し法を試している人は絶無…
こんなアホなことをしているのは地球上でおいらだけなのでしょうか(´・ω・`)
それでまずS端子出力から実験です。
テレビはソニーのKV-14DA75です。ちなみにRGBは、ハードオフで拾ってきたPS向けAVマルチケーブルを切断して流用、昔の8801等に準拠したピン配置のD-SUB15ピンにしてあります。普段はメガドライブを接続しています。
ちなみにSFCのAVマルチには+5Vが来ており、ずれて短絡したら多分SFCかテレビが即死します。
まぁ、こんな手製のいい加減なコネクタでも、ずれるほどの余地がある感じではないのですが…買ったばかりのSFCがぶっ壊れても悲しいですが、なにより15KHzRGB入力のある貴重なコンパクトブラウン管テレビ。壊れたら泣いてしまいます。
慎重にテスターでGND線ピンが一致していること、+5Vピン(10ピン)が短絡していないかを調べて、電源オンせねばなりません。
でけた!
今持っている唯一のSFCソフトは往年の名作麻雀ソフト
「SUPER麻雀大会」
むしろ、この「麻雀大会」をもう一度やりたくなったから買ったような感じでw
当時は98版で、親父のPC9801に勝手にFM音源ボードをぶっこんでプレイしていました。実に面白い麻雀ゲームでした。
今更98というわけにも…ディスクイメージも吸い出せないし…と思った時に、ふと「スーファミなら絵も綺麗で(漢字は荒いけど)、カセットだから長持ちでは?」と思ったという点もあります。
話が若干横に逸れましたw
Y/C信号を逆にしてたりと焦ったりもしましたが、とりあえず映りましたお。
クレオパトラちゃん、順調に映っております。
スーパーファミコンのS端子出力は、当時から、RGBがわりとどうでもよくなるほど優秀でしたねぇ。
そのせいもあるのか、あるいは
SFCをRGBで接続してしまったら、おいらのTOWNSが完全に敗北してしまう!!
みたいな強迫観念があったのでしょうか(難儀な性格だ)、当時SFC用RGBケーブルの取り寄せはしなかったのです。
TOWNSのモニタで使える21ピン→15ピン変換ボックスは通販で取り寄せていたんですが、もっぱらメガドラ専用でした。
次はRGBです。+をスーパーファミコン側にした耐圧6.3V以上、220uFのコンデンサをR,G,B各線に直列に入れ、KV-14DA75の同期にはSビデオのY出力をぶっこみます。
おおっ!
これがスーパーファミコンのRGBか!!!
つ、ついに何十年越しで夢を叶えましたぞ!!
そそり立つキレキレのピクセル。ドット絵最高。
RGBはやはり至高ですね。
HDMIで直ならなお良いのだけど、なんちって。
今こそ任天堂はフルHD時代の2D据え置きゲーム機(当然光学メディアではなくカセットで)を出すべきだと思うお…なんちって。
それにしても、案外あっさりと繋がるもんですね。
さて、これからはハードオフでスーファミソフト漁りという新たな趣味が増えました。
現役時代はかなりスーパーファミコンに対しては抑圧的な姿勢で臨んでいたので、ある意味ここからがおいらのSFC現役時代の始まりかもw
スーパーファミコン現役当時、おいらはかなり強硬なセガ派にしてアンチ任天堂でして。
その要因の一つが任天堂テトリス独占事件であったわけです。
当時はスーパーファミコンを買って「しまった」のもその高性能に屈した、ある意味「屈辱的な購入」と考えていましたが(意味不明)
今となっては全てが懐かしい(沖田十三風
さて、次はちゃんとしたケーブルに作り変えないと。