モブ沢工房

プログラミングとかLinux関連(特にOSSのグラフィックツール関連)とかレトロゲームとか3Dプリンタやら日曜大工等、色々。

素直になれなかった日々を懐古(3Dゲーム編)

この記事はfc2から引っ越した記事です
直前の記事でS3 ViRGEについて思い出したので、かねてより思っていた事を置いておきますね… というものです。

ちなみに以下、3Dと称するものは、プレイステーション世代からコンシューマーでも一般化した「ポリゴン等を用いて透視変換した三次元座標のオブジェクトを描画したもの」でして、いわゆる最近の視差などを利用した立体視の3Dではございません。

ぶっちゃけて言えば3Dゲームって黎明期からあんまり好きじゃなかったんですね。 この3Dというのは別にポリゴンという話ではなくて、スペースハリアーとかアフターバーナーとかを含めての話なのですが、

断面・俯瞰視点 > 後背視点(Third person view) > 主観視点(First person view)

という感じに好みに段階が分かれるのです。まぁ、じゃあオペレーションウルフは嫌いなのか?と言えばむしろ好きなんですが(汗 もちろん3Dでも面白いと感じないわけではないのですが、FPSでハマったと言えるほどにやったのは以前も取り上げたSerious Samぐらいなのです。

もうこれがすでにレトロの域に入る時代ですからねぇ… N64ゼルダもマリオも凄いとは思いましたし、それなりにやり込みましたが、もう一度やる気にはならないという感じでしょうか。

何故なのか、いろいろ考えてみたのですが…やはり、見づらいんですよ。画面が

まず、オルターエゴとなるべき感情投入の対象である自キャラは、画面上にあってほしい。 しかし、後背視点では自キャラで自分の目前が隠れてしまい見えない。 ということでしょうか。

2D時代にも、この欠点を何とかするために胴体に穴が開いていたダイナマイト・デュークとか、自キャラが透明なクロスソードというタイトルがありました。でもちょっと無理があったかな〜と思います。

しかし世は3D時代に入り、主観視点なら回避行動は自由自在なわけです。これで「後ろに下がりながら撃ちまくる」とか、「物陰に隠れてぶっ放す」とか「接近してナイフやチェーンソーでぶった切る」という行為ができるようになり、ゲーム性は劇的に向上…なのですが、自キャラは画面から消えてしまいました…

一方、レースゲームとかは3D時代になってよくなったと思います。2D時代のレースは走査線のラスタ分割スクロールでカーブを表現し、車を遠心力の方向に「引っ張る」ことでコーナリングっぽく見せていました。これでアップダウンとかトンネルとかよく再現してたなと感心します(ただ、時代が下るとコース背景・地面だけポリゴンで、木とか建物はスプライトというものがあったりするので油断はできないのですが) が、やはり無理がありますから。

チェイスHQはどっちだったんでしょうねぇ…今見ても凄いと思います。今リメイクするならGTAみたいなオープンシステムで(略

まぁなんだか話が拡散してしまいますのでチェイスHQについては置いておいて、ともかく今考えてみた所での理屈は上記のようなところではないかと思うのです。

ですが、理屈はあまり考えてなかった頃から既に、3Dばかりになっていくゲーム界(特に洋ゲー)に対して、正直言って 「3Dってなんだか画面が見づらい」 「3Dってなんだか味気ない」 「世間はともかく、やっぱり2Dのほうが自分には合っている気がする…」 とは薄々、思っていたのです。

しかし、何故かおいらは各種3Dアクセラレーターやジョイスティックを買ったりして3D道に邁進してしまいました。 その理由は! なんと、単に! 「これからは3Dの時代だから」 …という。

全く我ながら、何を考えていたのやら、という所です。

別に当時、世間の流れ、時代が3Dになっていったのは仕方ないのです。 自分でもやってみてやっぱり3Dの表現力は凄いと思いますので…

そういう事ではなく もっと自分に素直であれば、無駄な金と時間を使わなかったのにな〜とか今更思ったりして。 いや、金とか時間の問題でも無いですね。なんだか言葉にしづらいですが。 とにかく愚かな事をしていたなと。

S3 ViRGEについて思ったのはそんな点で、当時3D Acceleratorならぬ3D DeceleratorとdisられていたViRGEについて、実際にちょっとプログラムを作ってみて「2Dならかなり行けるのになぁ…いいカードだよこれは…」とうっすら思ったりしたのですが、3Dがダメだからという理由でとっかえひっかえ、無理に時代に迎合してグラフィックカードを替えていたわけです。その必要は全く無かったんですけどね。

実はこれは2D時代にも言えた事で、当時のおいらは「スプライト数が!」「多重スクロールが!」「回転拡大縮小が!」とかいう当時の世間の流れにものすごく反応してたわけですが、今思えば本質的に別にどうでもいい事ばかりだったわけです。そう、PCエンジンで充分過ぎた…別にスプライトが多少ちらついたって、テレビが爆発したり死ぬわけじゃないし…

今さらながらその数々の反省を踏まえ、せめてGT520は長く使って行きたいな、などと。いや、ていうか、CPU内蔵のIntel HD使いたいなとw